土屋まゆみさん(7期)
土屋さんは田無高校を卒業後、短大に進学したのちアメリカに留学し、永住権を得て、現在、コンチネンタル航空のフライトアテンダント(客室乗務員)として活躍をされています。



 

土屋 まゆみ(つちや まゆみ)


・1973年生まれ
・1992年3月田無高校卒業(7期)
・短期大学に進学後、アメリカ・ロサンジェルスへ留学。
 語学学校を経て、 グレンデールコミュニティーカレッジに学ぶ。
・1997年永住権を取得後、日本航空に就職し、地上職員として
  ロサンジェルス空港にて2年間勤務。
・1999年、コンチネンタル航空にフライトアテンダントとして入社。
・2001年、慶應義塾大学通信教育課程文学部特別課程に入学。

 

現在、アメリカ合衆国のヒューストンに在住し、ヒューストンを拠点に国内線、国際線に乗務する傍ら、大学卒業に向けて勉強中。

 

−初めに、海外に行かれたきっかけを教えてください。

 小・中学校時代、仲の良かった同級生が外国の生まれで、生年月日の横に(日本時間)と注意書きがあったのがすごく印象的でした。また、彼女の家に遊びに行くと、外国の珍しいお菓子があったり、家族の雰囲気もどこか日本のそれとは違っていたり、子供ながらに漠然と外国に興味を持ち始めました。
 その後、その友人が家族でパリに住んでいた高校時代の3年間、手紙や写真のやり取りをする中で、自分もいつか外国に住んでみたいと思うようになりました。
 それで、高校卒業後の進路を決めるときに、最初の1年間を海外で過ごす短大の学部を選びました。


−初の海外生活の1年間はいかがでしたか。

 何もかもが初めての体験で、それが新鮮で本当に楽しかったですね。また、それらの経験が、自分にも出来るという自信にもなりました。生活する上でも、授業でも英語は不可欠でしたが、高校時代は英語の成績が特別良かったと言うわけでもなかったですから。ある意味、適応力はあるのかなとか、色々な自己発見にもなりましたね。
 また、世界のさまざまな国の人々と接し、英語という言語の修得が自分の世界を広げるであろうと認識したのもこの時期です。

−短大を卒業して、またすぐにアメリカに行かれたわけですよね。

 日本での生活も、それはそれで楽しんでいましが、また海外へ行きたいと、ずっと思っていましたね。英語を上達させたかったですし、外国生活は自分に合っていると思っていましたから。どうせ行くなら早い方が良いかと、卒業を前に両親に相談をしたわけです。
 留学先の手続きの関係で、卒業後も何度か田無高校へ英文の成績証明書などを貰いに行ったりもしました。短い期限でのお願いで、先生方にご迷惑をお掛けしましたが、無事、間に合うように作成して頂きました。
 アメリカでは、初め、ロサンジェルスでホームステイをしながら語学学校に短期間通い、その後、カレッジに進みました。


−カレッジ在学中に永住権を取得されたそうですが。

 当時から、日本人がアメリカで永住権を得ることは大変難しいことでした。
ですから、留学生が卒業後もどうやってアメリカに住み続け、仕事をしていくかという事が、一つの大きなテーマにもなっていました。そこで、話題になっていたのが、抽選により永住権取得の機会を得る、移民の国アメリカならではの制度です。驚かれるかも知れませんが、私はそれに当選したのです。その後の審査は一般と同じで、かなり厳しいものでしたが、無事、永住権を得ることができました。
 留学生ではなく永住者になったため、カレッジの授業料が十分の一くらいになったのは、ありがたかったですね。



−アメリカで働こうと思った理由は何ですか。

 土地柄、日本語と英語を話す人の需要が多く、自分でも役に立てるかなと。それから、そろそろ経済的に親から自立する時期なのではないかとも思い始めていましたし、アメリカで働いて、一社員としてアメリカ社会を見るというのも、よい経験になるだろうと思いました。永住権があり、そうできる状態にある事が、如何に恵まれているかということも十分承知していましたから、それを有効に使いたいという思いもありましたね。


−今のお仕事に就くきっかけを教えてください。

ロサンジェルス空港で航空会社の地上職員として働いていた時の先輩に、元客室乗務員の方が何人かいらっしゃいました。その方達と親しくさせて頂いた事が大きく影響していますね。皆さん、とってもすてきな方達でしたから、客室乗務員という職業が無関係だとは思えなくなっていました。
 そんな時、コンチネンタル航空が成田への就航を再開し、日本語を話せるフライトアテンダントを募集しているという記事が新聞に大きく出ていたのです。接客業は自分に向いていましたし、自分を向上させる事ができる職業なのではと思い、応募しました。


−以前、接遇の研修で、日本の航空会社のフライトアテンダントの人から講義を受けましたが、冗談が出るイメージはなかったですね。きびきびとした感じで。


 機内で接するお客様との間に、親しみ易い和やかな雰囲気を作るには、ユーモアという感性も時には重要だということです。それはアメリカでの人間関係においても同じですが、社内では上司やパイロットとも最初から名字ではなく名前で呼び合いますから、その点、最初から随分打ち解け易いですが。


−帰国されると田無高校の同級生に会われるそうですね。

どんなに滞在日数が少なくても、会っていますね。帰国した時の楽しみの一つです。3年次の担任だった池田先生を交えて会う事もありますし、集まった時に皆で先生に電話をすることもあります。
 学生時代に築かれた友情は、これから先の人生の中では、なかなか作り上げることのできない友情だと思いますので、大切にしたいですね。


− 在学中の思い出はありますか。

 思い出深いのは、2年生の時、体育祭の応援団の一員になって、先輩や後輩と共に、連日、遅くまでダンスの練習をしたことですね。私が高校時代で汗水流したのは、後にも先にもこの時だけでしたから。その甲斐あって、優勝した時は本当に嬉しかったのを、今でもよく覚えています。


− これから先の夢や目標はありますか。

 今の仕事は大好きですし、天職だと思ったりもしますが、何かもっと自分の可能性や力を試すようなこともしてみたいですね。一つのことだけに満足するのではなく、いつまでも、何かに挑戦し続けていきたいです。
同窓生の皆さんもどこかで見かけたら声をかけてください。


−突然の電話での依頼にもこころよく応じていただきました。
 今回の取材は大学のスクーリングのため帰国された際にお話しを伺いました。(同窓会事務局からは、出張費は成田までと言われたので、ヒューストンでの取材は断念しました…。)
 授業の後でお疲れだったと思いますが、明るくおおらかで、アメリカでの生活を楽しんでいる様子がひしひしと伝わってきました。
同級生と会う前の貴重な時間を割いて頂き、更にその後、皆さんともお会いして話しをすることができ、仕事に追われて毎日を無為にボーっと過ごしていてはいけないなと、土屋さんや皆さんから元気を貰ったような気がしました。