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山下  寛 先生

担当教科:国語科
1991年4月
 都立大島高校よりご着任。
2000年3月
 都立大山高校へご転任。

――近況について

 現在板橋区にある大山高校というところで勤務しています。田無高校で9年お世話になり、その間2回担任をさせていただきました。大山高校ですでに5年目になりますので、田無高校での最初に担任した生徒達がもう28歳になっているのですね。うわっ。

 大山高校では今年3月に担任していた学年を卒業させました。現在は担任が終わりほっとした日々を過ごしています。

――教員になったきっかけは?

 子供の頃から本を読むのは好きでした。大学も国文科に進み、さて自分はこれから何をして生きていくのだろうと考えたとき、どうせなら好きな世界に関わりを持っていきたいと思い、本の編集者や教員を考えました。

  出版社の就職試験も受けたのですが、やはり教員になって自分が本から与えられた感動やそれまでの出会いの中で学んだことをおこがましくも生徒達に伝えられたらと思い教員の道を選びました。(ま、出版社の就職試験に落ちたということもありますが。)

  そう思い立ってから私立高校の教員をやったり、都立高校の講師をやったりしながら26歳の時に都立の教員になりました。これまでを振り返ると、つらいこともありましたが、この道を選んで正解だったと思います。

――田無高校での印象深い出来事は?

 田無高校に着任し頃は大変行事が多くて、2年生の担任をしていたときだったでしょうか、夏に勉強合宿と部活の合宿、秋に修学旅行、冬にスキー教室と1年間で宿泊を伴う行事や合宿に4回参加したこともありました。今となっては考えられないことですが、しかしいい思い出です。

 それから最初に担任した時の1年生のクラスで不登校になってしまった生徒がいて、毎日とは言いませんが、数日おきぐらいに家庭訪問をしたことがありました。今にして思えば、それがその子にとっていいことだったかどうかわかりませんが。結局は学校に戻れなかったのですから。これはつらい思い出です。

――近年の高校生をどう思いますか?

 教員に成り立ての頃は、無理なく生徒達の話題にとけ込むことができたのですが、今は無理です。ですから高校生が変わったというより自分が年取ったなぁという印象が強いですね。

  高校生自身はおそらく根本的には10年前と今とを比べてもさほど変わらないのだと思います。それより高校生を取り巻く社会の方が変わったのかもしれません。単純に夢や希望を語れなくなった今は、教員をしていてもつらいときがあります。

――卒業生にメッセージをお願いします

 みなさん元気ですか?卒業後いろいろなことに出会ったことでしょう。満足な毎日を送っている人もいるでしょうし、不本意は思いを抱えて過ごしている人もいるでしょう。でも僕はみんなの高校時代の生き生きしていた顔を覚えています。どんなときも自分にとって何が本当に一番大切かを考え、ゆっくりといきましょう。

――最後に卒業生に一言お願いします

高校時代の学校は自分の通過点ですが、卒業したあとの学校は自分と社会の財産です。この財産は、同窓の人々が応援し、また育てていかなければならないものだと思います。卒業しても母校は永遠に自分の学校です。忘れないで応援し続けて欲しいと思います。