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鈴木 伸一 先生

担当教科:英語
田無高校:1983(昭和58)年〜13年間
昭和10年生まれ 東京都出身
青山大学文学部英文学科卒業

――先生は、最近どのような事をされているのですか?

現在、嘱託として都立練馬高校に勤務しています。期間は、5年なので、来年の3月で終わりになります。田無高校へ通っていた時は、往復で1時間近く歩いていたので、良い運動になっていました。練馬高校へは「大江戸線」が開通して便利になりましたが、そのぶん運動不足気味です。

――先生の思い出に残る田無高校とは、どのようなものですか?

開校の頃、校庭、体育館など、まだ未完成ではありましたが、教職員、生徒が一緒になって新しい学校づくりに懸命に取り組んでいました。あの頃の田無高校にあふれていた熱気や意気込みが、とても懐かしく思い出されます。田無高校には、そういう雰囲気がずっと引き継がれて来ていたと思います。

――先生の担当した写真部の思い出は?

部員は、みんな個性的で、それぞれが自分の主義主張というようなものを持っていたように思います。部員の数が多すぎても、少なすぎても活動が成り立たないという制約がありましたが、その辺りを毎年の部長が上手くまとめていました。上級生の面倒見がよく、下級生との仲がとても良かったので無いかと思います。文化祭の展示など、よく取り組んでいました。

――先生が写真を始めたのはいつ頃ですか?

自分でカメラを手にしたのは、高1の頃。暗室作業を自分で始めたのは、ずっと後になってからです。ずっと以前、中学校で教えていた頃、写真に詳しい生徒がいて、教えてもらったのです。彼が、大学生になってからは、2人でよく撮影に行きました。今でも交流があり、色々とアドバイスしてもらう事があります。

――先生は大変なネコ好きだと聞いていますが?

好きですね。世の中にこんな可愛い動物が居るのか…と思います。17年間可愛がっていた猫が、昨年9月に死んでしまい、とても悲しい思いをしました。歩いていても、猫を見ると、つい声をかけてしまいます。

――田無高校の先生や、卒業生と今でもあったりしていますか?

田無高校には、13年居たので、送り出した生徒も多く、思いがけない所で出会ったり、挨拶される事があります。先日も、練馬高校に郵便を配達に来た人が卒業生と判り、お互いに、びっくりしました。とても懐かしく、そんな出会いも嬉しいものです。田無高校で一緒だった先生方も、殆ど転勤されてしまいましたが、意外と近くの学校に居られたりして、顔を合わせる事がありますね。

――最後に、在校生、卒業生に一言

文化祭、合唱祭、体育大会や、その他の行事で、クラス全体が、一丸となって練習や準備に取り組むという、あの姿勢は素晴らしいものだったですね。在校生には、そういう雰囲気を大事にして欲しいと思います。卒業生にとっては、それは、貴重な財産になっている筈ですから…。その心意気を忘れずに、色々な場面で活かして欲しいと思います。

記事 真部一義(9期)、奥山弾士(10期)