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坂本 恵司 先生

担当教科:英語
東京都出身
昭和29年生まれ

平成3年砧工業高校からご着任
平成11年牛込商業高校へご転任

――先生の近況をお聞かせください

 8年間勤務した田無高校から牛込商業高校に移動して3年目になります。現在は進路指導を担当しています。商業高校なので大部分の生徒が就職を希望していますが、今は「超氷河期」なので、求人が少なくて非常に苦労しています。

――坂本先生が教員になった経緯を教えてください

 大学在籍中にロンドンを放浪していましたが、卒業後にレコード会社に勤めました。ここでは外国人の音楽家の通訳の様な事をしていました。ただ、この仕事は自分の力ではなく、通訳を必要とする外国の著名な音楽家の力で成り立っている気がして、1年程で辞めてしまいました。そして自分の力で出来る仕事として、25歳の時に英語の教師になりました。

――田無高校での印象深い思い出にはどんなものがありますか

 何と言っても「合唱コンクール打上げ事件」に尽きますね。
 当時受け持っていた2年生のクラスの生徒の大半が参加していて、その内の何人かが補導されて警察署に呼び出された時の光景は今でも鮮明に覚えています。警官に喰ってかかっている生徒がいたり、保護者が迎えに来ない生徒を送って行ったら朝になっていたり…。
 クラスの中の30数人が一挙に謹慎処分を受けるなんて学校始って以来の事件でしたし、その後もそこまで大きな事件はないでしょうね。
 他にも思い出に残る出来事は有りましたが、この事件の前には霞んでしまいます。

――近年の高校生をどう思いますか。

 田無高校では9期生と13期生の担任をしましたが、ポケットベルや携帯電話が教室に入ってきてから特に変わった気がします。自分の親しい相手とだけコミュニケーションをとっていて、自分や親しい相手だけが楽しければ良いという風潮が有る様に感じます。
 クラスの皆と何かしようとか、そう云った事が非常に少なくなってますね。「合唱コンクール打上げ事件」では、結果は大事件になってしまいましたが、クラスの全員に声を掛けて、大半が参加した行動力や結束力は今の高校生には無いですね。また、事件後に謝りに来たり素直な面も有りました。

――卒業生にメッセージをお願いします

 歳をとるにつれて時間の経つのが早く感じる様になります。時間とは「今、この時」の積み重ねなので「今、この時」を粗末にせず、大切にしてほしい。
 また、物事の上辺だけを観ずに、「大切な物」や「本質的な事」を観る眼を養ってほしいですね。

取材を終えて

 今回、取材させていただきました坂本先生の授業を受けた事のある方々は先生から「仁義」という言葉を何度となく聞いた事を憶えているのではないでしょうか。今回の取材に際しても、この言葉を何度か耳にする事が出来ました。坂本先生は「自由」や「個性」を重んじる一方で「ルール」や「マナー」も重視し、これらの重要性を熱く説いた「坂本節」は当時のままに健在でした。「大切な物」や「本質的な事」は何年経っても不変であるという事を感じずには居られない取材でした。

聞き手・文 真部一義(9期)